本質の表現するこの美しい世界が、ありのままの姿を灯しますように。
最愛の訪問者であるあなたに感謝と愛を捧げますಇ

The Truth is not far

私は、この世界の中で、

根源的なわたしを知るということ以上に
知るべき大切なことは無いのではないかと思っています。

この知識が自身のものとなれば、

そこにはもう、形に残る勲章も受け取る結果も、
何もないのだけれど、

ありのままに表現されたパノラマな世界が、
ありのままに見ることの出来る特等席となる。

常に今この瞬間の新鮮さと共にあることが、

プラスともマイナスともなり得る
平等な創造力というエネルギーを持った私たちが、
表現の世界をすこしでも楽に旅できるという
ひとつの特権
だと思っているからです。

世界の美しさをありのままに見ることが、
すこしでも多くのこころに実現することを祈って。

「真実は遠くない。」

動物園で育った動物は、園の中だけが世界です。

人間はこの園の外にも
違った景色の世界があることを見ていますが、

更に視点を広げてみるとどうでしょうか。

この現象の世界で全てと見ている私たちにも、
同じことが云えるのです。

この様に、持って生まれた身体としての意識から、
その内側への興味。

表現の世界がこの世界に限られていなかったことを
知るというような知識の広がり‐つまりは創造力の広がりを、

流れゆく生のひとつの節目として、
多くの私たちが経験させられていますが、

意識的広がりのみられる今日とは言っても、

多くの意識は身体を中心に生きることに夢中で、
普遍的意識に生きる事を避けているようです。

忙しさに休息をとりたいと願っても、
実際の休暇ができると手持無沙汰となり
じっとして居られない理由を
どこかに探してしまうように。

幸せになりたい。安心したいと願いながらも、

現象世界というこの巡り行く景色を、
操縦席に座り、操縦士として、
まだまだ楽しんでいたいというのが
多くのこころの本音なのでしょう。

普遍的意識に生きるということは、

意識的広がりに加えて、

思考の活動できない今に常に戻り、とどまり続ける。
つまりは架空の誰がしへの弛まない抵抗が必要で、

これが本質としての在るを明らかにする
避けては通れない手段です。

誰かによって達成することでも、
到着する答えがある訳でもなく、

ただひたすら、地味に自身と向き合うことだけが、
唯一無二の不動を自動的に明らかとしますが、

最初は、抵抗もできない程の強い力に
ひっぱられて臨んだであろう自身への対面も、

気づかぬうちに、精神世界という形作られたブランドを
楽しむことへとすり替わり、

ビジネス化された架空の真実が、
ほんとうの真実を隠す流れとなっていることは、
すこし残念に思います。

要求が起これば、方法も生まれるこの世界では、
この流れも致し方ないことで、抵抗しても意味はなく、
それゆえに真実は煙に巻かれ易いですが、

真実はそんな遠くにはありません。

外側にはありません。

あなた自身が、絶対だからです。

「わたしのあるく道はこちらでよいのだろうか?」

すこしでも疑いを持って、立ち止まったこころがあれば、
このメッセージが意識へと沁み渡るかもしれません。

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