Leave a Human Touch

「人間味が残る」

世界を、突如違った側面から
見せられることが起こった後者(同士)のために、
いつかは投稿したいと思っていた文章です。

書いたのは去年の冬ですが、今となって動きました。

すべての者に共通する正確な平和や幸福の在処として、
何かの繋がりになることが、
この場所にとってこの上ない喜びです。

その時が来た方に届くことを祝福して…

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これまで、この現象空間が中心に世界は周り、
それがこの意識にとっての全てでしたが、

見る者によって世界の見え方は全く違うので、
解答などどこにも無く、するべきことも、
変えるべきことも、一切ないのが人生だという
笑いの起こるような直観的感覚が私の中を過ぎ去りました。

一見、ある様には見えるこの世界も、意識がある故の顕われで、
その中に執着や期待が起これども、それを行う誰かはどこにもいませんし、

そこに掛かった重荷を追い払う働きがあろうが無かろうが、
一点の染みすら残せないということを思い知らされたからです。

ここで書くことが起こっていたのも、
誰の意思でもあり得なかったということで、
今私に落ちた理解でさえも、ただそこに気づかれただけで、
この理解を喜ぶ者の存在はどこにもありません。

正直には、ブログで書けることはすっかり無くなるのであろう
と感じましたが、

この世界の現われの全ては“私”であるので、

何が起こってもそれはそれとして、
訂正されることも、否定されることも、肯定されることも、

どれもが全く意味を持たないことだという
直観的気づきの中にくつろいでいるのも確かです。

これまでも書くことが楽しまれていましたが、
これからもそれが起こるのであれば、
また違った側面からの描写が生まれるのでは。と、
私の意識はある種の喜びと共にあります。

自然とどこからともなく吹き込んできた
新しくもあり、新しくはないこの風は、

肉体と一体化した私に、以前から
今か今かと待ち望まれていた瞬間でしたが、

とても面白いことに、待ち望む誰かが後退する時に
起こるそれであったため、変化は全くありません。

むしろ、人間味と言おうか、私たち人間のみせる面白味が、
一層濃くなり残っている事には驚いています。

喜びもあれば、悲しみも、苦しみも、
感情としては過ぎ去り、

反応や行動が変わるでもなく、

興味のあること好きなことが変わる訳でもなく、

見かけにも中身にも、同じ肉体がこれまで通りに見える
私をそこに展開し続けているといるということです。

ですが一つ変化が感じられるのは、
起こることに対して気に掛ける誰かが不在なので、
景色が揺らいでも、
足場は常に揺らがないということかもしれません。

この世界を生きる肉体の私が必要とすることが、
常にどこかから現れ、役立つことがあるように、

この場所も、時や空間を変え、
どこかで役立つことがあるかもしれません。

そんなことを感じながらこのメッセージを書きました。

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