「何のためでもないよ」
何のためにわたしたちは生きているのか。
この問いかけが起こり、
この真実に辿り着いた者はほんとうに幸運です。
運命という見かけ上の苦しみから
解き放たれることを告げる合図だからです。
私たちは、何かの為に生きているわけではありません。
どうしようもなく、生きることがここに起こっている。
何の計画をしていなくても
様々な条件が重なった時。
お花は自然と咲きこぼれますが、
そこにどんな理由もありません。
境界線を持てないたった一つのいのち(動き)。
この飛躍する空間という中に生きている(顕われる)何か。
これが人間であろうが、動物であろうが、植物、無機質…
物質という、空間から魔法のように生み出される
見かけを持つもののすべては、
たったのひとつの表現です。
人間は見かけ上では人格があるので、
誰々という感覚は起こりますが、
この誰々の感覚が生きているわけではないのです。
ですから、私たちの役目はとてもシンプルです。
ありのままを生きる。
これだけです。
そしてこれは、
これまでもずっとそうしてきているので、
このありのままの道を進んでいく為の詳細な工夫も努力も、
どこからともなく自然とやってきます。
人生という道なりが、
“降り注いでくる道を生かされていた”ことで違いないことに、
とことん気づくことが起こった時。
文句を言っても言わなくても、
悩んでいても、笑っていても、
それでも、明日は同じ明日として
やって来くることがはっきりと分かります。
言い換えれば、
決まった明日は起こっても、
それは(頭の考えつく)情報から決められるような
狭い空間とは異なります。
ですから、正解はどこにもない。
どこを探しても見つからない。
これが、正解です。
その肉体に起こる行為が正解です。
そしてそれは、その瞬間に起こることであって
意識に捉えられてこそ存在します。
ですから、どんな自分であろうとも、
今感じているままに行動をして、
それ以外できないことをはっきりと目撃するだけです。
ありのままという美しさは、
いつでも私たちに順応しています。