The illusion of imperfections

「不完全というまぼろし」

私たちの多くが、

不完全に見せるまぼろしに視界を塞がれて、
ありのままをありのままに美しいと感じることが
出来ませんでした。

これを言い換えれば、

わたしたちはすでに誰もが完全ですが、
(今そうである以外、他に仕様が無いという側面から)

情報から構築された自分という感覚になりきることで、

ありのままという完全さを、
そう見せないのがこの世界でもあります。

ですが、この不完全さもすべて幻であることが
意識によって見破られるとき。

不完全な私も、不自由な私も、
これまでの様には存在できません。

それらが、あくまでも見せかけのトリックだと
意識によって気づかれるからです。

表現の世界上で、目に見える事だけを追っていれば、

できることよりも、できないことばかりです。

不公平も感じますし、
良いことだけでもありません。
感情も一定とはいきません。

ですがここは表現の世界。

すべて含めて表現された作品ということです。

“良いこと”があるという感覚から
良が求められれば、相互する悪は一緒に作用します。

ここに、実際に良や悪があるのではなく、

良と悪とを判断する側面がその様に見せるという
見かけだけの世界がこの場所です。

感情をコントロール出来ること‐
見ているものが常に平であることが、

真の平和でも真の幸せでもありません。

この様な表現が一番近いのかは分かりませんが、
敢えて言葉とするのなら、

幻想を幻想として楽しめる余白の部分。
 
これが生まれることから、
揺らがない平和という基盤の見通しが
利くようになるのではないかと思います。

そこから見える世界では、

見える全て、良いも悪いも
本質では、同じことで、同じもの。

形にみえるものは、
形にみえないことと相違はなく。

存在も不在も同じです。

つまり、

わたしたちの探しているものは、

いつもわたしたちの目の前にあります。

どんな世界を観ていても、
そこにも平和があります。
ありのままという完全があります。

このことを見るのは、他の誰かではなく、
意識としてのあなた自身です。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。