Unconditionally Free

Unconditionally Free

「無条件に自由であるということ。」

この世界が冗談めいた空間だということは、
みなさんも感じていると思います。
薄々気づいているからこのブログにも来てくださいました。

世界が良くなることを待っていても、
どうにもならない事に気づき、
自分が変わることが名案であることを知ったということは、
学問や知識が与える豊かさを超えるほどに、喜ばしいことです。

冗談めいた喜劇は、現象のなかの多方で認識されますが、

ありのまま何も加えていないものが
謙遜しなくてはならなかったり、

何も持たないものが哀れみの対象となったり、

無いことよりも、有ることを本気で求められたりするのは、
代表的な喜劇ではないでしょうか。

他にも、無加工に現れた良さは証明が要らないので、
ひとりでにその美しさを広めていくという性質であるにも関わらず、
人々は言葉や装飾を巧みに使った見かけの証明や
証拠のあるものに揃って目を輝かせたり、

若くありたい。年は取りたくないと願う割に、
時間があってのんびりすることよりも、
時間が無いこと(忙しい)に誇りが持たれたりします。

そしてもっと面白いのは、
世界の見え方はそれぞれ、単に思い込まれた
観念(ありのままを隠す)からであり、
これらの摩訶不思議な行為を選んだ誰かも、
最初からどこにも居ないという点です!
(これを言うと話が終わってしまうので、今は脇に置きます☺)

話を戻し、そんなことを見ていると分かるのが、

この空間では、ほぼ揃って皆が経験を求めている。ということです。
財産も荷物も知識も、おそらくは、少ない方が楽であるはずなのに、

“誰かとして”生きるゆえ‐経験から必ず何かを得られる。ことを信じ、

つまり、ありのままでは見過ごせない「良くすべき自分」
という存在があることが本気で信じられているので、
一分一秒も無駄にすることが許されません。

このような生き方にひどく疲れたなと感じるのであれば、
無条件に自由である。という風変わりだけど面白い種が、
今、あなたの柔らかい土にも撒かれた瞬間です。 

一緒に水をまき、日を当てて、耕していきましょう。🌱

(ときに涙が流れ、ときに笑いが栄え、人生という足踏みが
ありのまま本質に注がれるという意。)

私たちの日常は、流れる雲の様に様変わりしています。
空の雲と同じく、止めたくても止められない流れです。

定位置に留まらない物事は、あくまでも鑑賞されるべきであって、
初めから期待や執着によって操縦できる物事ではありません。

そこ(流動的な人生という空間)から何かを得ようとすると、
良くする為に見なくてはならない経験を生みます。

良くすべき何かがあることが信じられていることで、
経験へともどり、正すべきことを生み出すからです。

詳細には、これですら次の表現への助走となるわけですが、
人生に起こるこれらの様々な経験が与えるのは、
内面の成長や霊的進化ではありません。

それぞれが個別の身体を形成し、その中には魂(ひかり)が
分かれて入っているという観念からの解放。

魂というひかりの分裂神話から起こったであろう個体観念、
分離意識からの直観的自由です。

成長するために、必要不可欠な経験をする場所が、人生。
と見ていたのが、
本当は意味や理由を持たない単一の表現であることを理解する時。

経験をする行為者はどこかへ消えてしまうので
人生にかかる重量は消えて無くなります。

人生は起これど、その人生を生きる誰かが居ません。

どう歩まされようと、責任も後悔も、どんな足跡も残しません!

実際の人生という時間は、そこから何も得なくても、
非物質である無の源泉にとって
非現実的な空間を十分に楽しめる場所です。

だからそのまま、シンプルに生きて良いんです。

あなたはあなたのままでいいということです。

まだ足りない、まだ良くなれる。そうやって見るから、
堂々巡りとなって同じ場所に何度も戻っていきます。

人生はある意味では修行のようでもあるのですが、
この“修行”を終わらせられるのは、
“私”という表現の中の流れでしかありません。

そうであるならば、足りないものはどこにあるでしょうか。

良く出来る状況は、本当にあるのでしょうか。

現象をどうにか出来る“誰か”はどこにも居ません!

自然と現れるものを受け取り、
自然と離れていくものを見送り、

何故かは分からないけれど、
今起こっている表現が完璧(絶対的に変更不可能という意で)
であること以外私たちは何も知れません。

なので、生きてるよ。という“私”の気づき。
それだけで、十分なのです。

このことを直感的に受けとれば、
準備のできている者は、
得ることも学ぶことも一通りやってきているので、
それ以上は求めなくなります。

物に満たされ、知識や経験が多ければ多いほど楽園に
行けると信じられているこの空間で、

先に身を引いた者が、直ちに平和を見る。
これは、なんと素敵な冗談でしょうか!

WordPress.com でサイトを作成

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。