Who is Life for?

「人生はだれのもの」

「誰が一番幸せになるべきか。」
もしもそう質問されたら、即座に自分自身と答えられるのが、
これからのひかりの時代です。

例えどんな人生を歩んでいても、
自分の選んだ人生と向き合って生きるということは、
幸福(本質)と共にあったということです。

これが幸せでなくて何が幸せなのでしょうか。

ここからの人生は、誰かに捧げるためのものではなく、
自分に捧げるためにあるとおもってください。
外側の働きに吹かれて、自分以外のことを中心に見てきたこれまでが、
今この場所へ私たちを連れてきました。

これからは自分の人生を生きることに本格始動です。
周りの目や世界の動きに自分の行動を遮られるのではなく、
自分の生き方で、周りの目や世界の動きを通り抜けてしまうということです。
その為には、それぞれが自分自身を思いやり労われることが先決です。

大きな所で、自分だけ幸せになっていいのか?という心のブロック。
これは私たちの多くが、こころの片隅に置いている観念です。
このブロックの根となっている教えには、
誰かが苦しんでいる時に自分が楽をしたり幸せでいれば、
罰があたる罪になるというものがあります。

これは、原点の幸せを曇らせる為にはとても上手くできた仕組みで、
不幸せのドミノ倒しという表現がちょうど良いかもしれません。
このドミノがしたことは、闇を深く体験するために。と付け加えたとしても、
権力者が多くの人間を暗がりに閉じ込めることの出来るはかりごとで、
外側の対象物を優先して生きましょうよ。というメッセージが込められています。

力の持たないものが、国や権力のために生きるという感覚だったり、
誰かのために人生を捧げることが正しいような思想とも複雑に繋がっていて、
これでは自分の人生を歩むこと、幸せを認めることができなくて当然です。

自分が幸せ(本質)と繋がっていないのに誰の幸せを祈れるというのでしょうか。
結果、自分だけ幸せになることへの抵抗というのは、
本質の自分自身に向き合うことへの抵抗ともなってきました。

ひかりの時代へのターンで、幸せに戻ることへの抵抗の必要がなくなった今、
原点のひかりへと戻るため、知るべきことと解放されるべきことが、
どんどん私たちの意識の上に出てきている状態です。

これまでに作りだした分離意識の修復と回収ということが起きている中で、
自分の呼吸、自分の中心から 見て、知って、選択していく。(face myself )
このことは、今私たち人間に提示されている大きな課題となっていて、
この課題を受けてどこまで自分を許し認められるか、自分を信じるか。は、
ひかりの時代への、ちょっとした研修のようなものなのかもしれません。

原点の幸せを顕にするためには、
顔を上にあげて、ひかりを見ること。真実に目を向けて知ること。
もしくはハートにすべてを捧げ、内側に余すことなく溶け込み、
任せきること。(つまりは信頼する心です)大きく分けてこの二つです。

自分の住む世界を出しているのは、自分のこころがプロジェクターとなるので、
世界を濁すフィルターは、望めばいつどこにでも掛けることができます。
ですから世界が完全に平和になるのを待つのではなく、
自分自身の幸せを許すことを、先に自分の足で踏み出さなければ、
結局は何も進まないということなのです。

テレビやニュースでは、安らぎを遠ざけるような知らせを、
不安を煽るような伝え方で繰り返し流します。
電波を使って不安を届けると一秒もかからず一斉に、
私たちの心へと入り込んでしまいます。
悪意はないかもしれませんが、コマーシャルやドラマでも、
遠回しに努力を促すメッセージを添えているものがほとんどです。

意識的に受け取れる方ならば、そこからまた違った気づきが生まれますが、
この仕組みに慣れてしまうと、情報機器が何でも勝手に流してくれるので、
そのまま鵜呑みにして、自分の目で真実を見ようとしなくなってしまいます。

自分の目で見ていれば、それらのすべてが真実では無く、
多くの事が、私たちの疑いの心がつくりだす空虚だということが見破れます。

例えば、コロナのニュースは危機感ばかりを煽りますが、
起きたことを受けとめ、
ちゃんと自分の目で世界を見ることの出来ている人達にとっては、
悪いことだけが起きているという認識はありません。

ウイルスの広がった最初の頃、私たちは確かにとても強い力で揺らがされましたが、
このことは、私たち人間がこれまでにどれだけ調和から外れて
生きて来たかを気づくきっかけともなりました。

今、実際に自分の目の前に広がっている世界で、
普段通りの暮らしが無くなっているか。と落ち着いて見渡してみれば、
新しい生き方へと、大きく変わるチャンスとなった方も多いと思いますし、
会社勤めの方はテレワークなどから視野が広がって自由が増えたりと、
これまでの日常よりもトーンが上がった方も多いと思います。
やっぱり、変わっているのです。ひかりの方へと。

上手く言えませんが、これまでの私たちの生き方であった分離の世界とは、
愛から離れたそうゆう物なので...
外側が、ここぞとばかりに危機感をもつことを強制してきても、
強制ということ自体が、信頼とは遠くかけ離れていることです。

なににしても、疑いが生むのは苦しみだけということを思えば、
自分の平和は、自分で保つことが一番の薬となるのです。

自分の目で見ることを忘れてしまった私たちにとって、
今の世界は、自分の目で見れば虚無かどうかを確かめることの出来る、
有難いチャンスにあることに、気づいてほしいと願うばかりです。

実際に今、窓の外で戦争が起こっているの状況にある人達。
食事をとることも難しい状況にある人達は、
何よりも身の安全を第一に、平和の守れる場所へ非難することに命がけで、
自分だけ幸せになっていいのかなどと考える隙間がありません。
自分は駄目な人間だとか、それでは罪になるとか、
それよりも前に、今のこの瞬間の自分の命を生きる事に精一杯です。

勇敢にもそのような状況にある方々のためにも、
住む家があって、温かい布団に眠れる環境にある人たちが、
世界がどうか頭を悩ますよりも先に、心の平和を守り、
今この瞬間からまずは自分の幸せ(原点)に気づくことで、
世界は何万倍と良くなります。

まだ起きていないことへの不安や、飛び交う情報だけを信じるのではなく、
自分の今ここに広がる世界だけを見て、信じ、楽しみ、実感し、
ただ感謝していくことに時間を使うこともできる。ということです。

実際に、人が苦しんでいる時に喜べる人はほとんどいません。
共に胸を痛めて、共に悲しみを感じます。
私たちはすべてひとつで繋がっているからです。

ですがこれは、共に苦しみの中へ入って行きましょうという事とは違います。
痛みを感じることが既に学びとなっていて、それで十分気づきなのですから。

詳しく紐解いてみれば、人が苦しみを見せくれるのは、
自分の心に苦しみがあるからです。
浮かび上がってきたことは全てが自分の為でしかないので、
これからは戦うことも、逃げることもありません。
ひかりから飛び出していった影が、ひかりへと戻ろうとする過程で、
その者の空間(波動)が一回り広がるよという合図だからです。

誰が悪くて、何がいけないというような原因も外側には一つも無く、
自分を責めることも、運の良し悪しにすることもありません。
そうは到底思えなくても、ありがたく頂戴しますとして、
苦しんでいる自分を見てあげることで、十分ひかりは当たります。
そこでやっと、飛び出してしまった影はひかりへと戻ります。

本当は、恐れから目を閉じることよりももっとシンプルに、手放しは進みます。

結局のところ、わたしたちは自分の人生しか生きていないし、生きれません。
試練といわれるようなものも、誰の為でもなく自分の為のものです。
関わることのすべてが、自分の成長と気づきを得るための物だとしたら、
他の誰かが肩代わりすることもできない、そうゆう物です。

この世界が自分の心の見ていることの顕れであることが分かれば、
自分の見ている世界は、自分側の方向からでしかないよということなので、
相手にはその相手側の、また別の世界が広がっていて、
本質の自分を知るためにそれぞれがユニークな学びにあります。

つまり、たとえ親子でも、私たちがお互いに“知っている”ことは、
本質であること以外には実は何もありません。

ですから、他の人の選択する生き方を尊重することはできても、
とやかく言うことも言われることも、どちらともが意味のないことです。
それぞれが自分の人生を受け入れ生きることが出来て、
世界は良くなっていくからです。

これは呼吸と同じことが言えると思います。
他人が誰かの為に呼吸をしてあげることは出来ません。
どんなに頑張ったとしても最終的には、
誰かの呼吸を良くしてあげることも、整えてあげることもできません。
本人の意思でしか、それは変えることができないからです。

けれどこの呼吸は、みんな同じリズムで繋がっています。
私たちは忘れがちですが、呼吸に意識を合わせることは、
生命は一つに繋がっていることを、唯一感じることのできる行為です。
木々も、動物も、虫も、風も、水も、海も、大地も、人間もひとつです。

そうであれば、自分の呼吸を整えることは、
世界や誰かの呼吸を良くすることに繋がっています。

自分の幸せを許すということは、世界の幸せを祝福すること。
世界の幸せを祝福することは、自分の幸せを許すこと。
たったひとつの中心に戻るために、わたしたちは生きています。

幸せを感じる対象はそれぞれ人によって異なってはいても、
しあわせの基盤となっているのは、昔も今も変わらず、
心の安らぎと平和。ということなのかと思います。

では、何故私たちが常に安らぎを求めていのるのかと問えば、
苦しみのない自分を知っているからですね。
最初から苦しみしか知らなければ、安らぎを求めることはありません。

私たちは生まれてこの方ずっと、
自分にとって最も自然な姿を求め続けているということです。

わたしたちの自然な姿は、至福であることに気づかなくてはなりません。

私たちは、本質(幸せ)へと戻る道のりを順調運転で進んでいます。
原点の幸せを覆い隠してしまっているごちゃごちゃを、
外していく過程を見るための人生なのだから、
様々な登場人物もデコボコもそのままで順調です。

新しいはじまりには、一度崩壊と立て直しが必要になり、
更に大きく前進していくわけなので賑わしいですが、
見えないだけで新しいページに開いてすすんでいます。
自分の人生を生きることへの抵抗を外していくというのは、
頭で考えるのではなく、感覚を呼び起こすということです。

何を忘れてしまっても、わたしたちがいつも調和の中にあることを、
まずはこころに留めておいてください。🐦

毎度長い文章となってしまって、読んで下さる方へはいつも感謝しかありません。
どうもありがとうございます。🌞みなさまの平和がありますように。🌈