The Universe is in us

「宇宙は私たちの中に」

前回の記事を、もう少し分かりやすく伝えられたらいいな。と思いまして、
原点に戻った視点からも、書いてみたいと思いました。
内容は同じ様なことですが、違う角度からの理解が深まれば良いと思います。🌞

わたしたちは、生きていることそのものが、既によろこびです。

そうであったはずなんです。これまでもずっと。

躍動感のある世界を経験できるよろこび。
自分以外の誰かを知れるよろこび。
存在できる喜び。
色とりどりの生命がそれぞれに美しい喜び。

毎日感じれるようなことで、どんな瞬間も、とても喜びだったはずです。

なぜって、永遠の生命という「無」が、
有限である世界観を、鑑賞しているのですから。
こんな楽しいことって、本当にないと思うんです。

そうだとしても、思考の見せる記憶や情報に、頭を占領されてしまうと、
これがないな、あれがないな。これでは駄目だな、こっちが良いな。
という、物質世界の見せる幻想と一心同体となってしまって、
生きているだけで素晴らしい。という原点から徐々に離れてしまいます。

そして、自分がコントロールしたい!という頭が、オンになってしまうとき、
わたしたちは同じくして、喜びという自由で純粋な自分にも鍵をかけてしまいます。

いま目の前にあることよりも、別のことが美しく感じる様になって、
後には、独り占めしたいもっと欲しいと、期待や執着も生まれます。

喜びだけだったこころが、喜び以外のことに忙しい働きに隠されてしまうと、
目の前の世界を否定するようになって、とても不自由になってしまう。

そんな積み重ねが、私たちに空虚さを感じさせるようになりました。
これが、こころに吹くすきま風の正体です。

この感覚は、人間らしさと言えば、人間らしさですが、
あまりに闇が深くなれば、ハートからのエネルギー補充ができなくなってしまうんですね。

そうなると、目覚めや気づきどころじゃなくなるので、
いま、私たちには、原点に戻ろうとする働きが、たくさん押し寄せているんです。
積もり積もった空虚を、せっせと愛に戻してるのです。

なので、まずこの空虚が自分だけの闇ではなくて、
ましてや、自分のせいでは無いんだよ。ということを知ることは、
とても大切なことなのです。だって、誰も悪くないですから。
自分や誰かを責めることはないんです、何があっても。

新型ウイルスからも、とてもよく分かったことですが、
自分だけでないというのは、みんな一つだということです。

目に見る分には、国境もあって、建物があって、空間があって、
笑っている人も泣いている人もいて、全然繋がってないんですけど。

現われるものの全ては、同じ源(出所)ということなんですね。

源(出所)は同じということは、そこに分離はないということです。
分離がないということは、この世界に起こること全ては、
目に見えなくてもどこかで繋がって、支え合ってるっていう事です。

宇宙をパズルで見立てた時には、何に置いても大切なピースで、
余分ひとつなく、完璧です。それが、この調和という宇宙の土台です。

分かりやすく言えば、全てが一つの袋の中に入っているので、
そこから何もこぼれ落ちることたことはありません。
その中で、みんなが手を繋いでひとつです。
一人転べば、みんなで転ぶし、一人スキップしたら、みんなが振動です。

きみ、人間やってるの?あ、じゃあ抜けられない大切な一ピースだね。
という事なんです。誰もが、です。
そしてもっと言って、この宇宙に存在する全てがです。

あたかも別物のように見えて、あたかも別人を演じているけれど、
本当はみんなこれを、たった一つのハート(生命)で分かちあっています。

でも、頭という自己の感覚をもたらす機能が、
それを分離に見せているだけなんですね。

どんどん広がっていく。それがこの、想像の世界なので、
具体的な例をみると、ある音楽が世界中で売れたとすれば、
これまで音楽を全く聞いてこなかった人でも、
その曲だけは大好きになったりします。

ひとつの袋の中のエネルギーは共振してしまうので、壁はどこにもありません。
自然と手に取ってしまって、夢中になっているんです。

頭の中では、その音楽を好きになった理由を幾らでも見つけられるし、
選んだ自分を誇りに思ったりもする。
これが、私たちの感じている生きているというリアル感です。

だけど実のところ、どんなことでも起こったことというのは、
そこに理由も目的も無く、自然とそうなったことなんですね。

ただそれが全体の動きだから。としか言いようがないけれど、
もしも無理に説明をするならば、
想像の世界は幻想ゆえに、見たいままにただ広がり続けるだけなので、
止まれないという感じでしょうか。

私たちはこの世界で、あれが欲しい/これが無いって、色々探したりもするけれど、
内心では、物質だけではこころを満たすことができないことは、
みんな、もうちゃんとわかっているはずです。

ちょっと違うってわかってはいるけど、無意識にも求めてしまったり。
ちょっと的外れなことが起こってしまう。そんな感覚が、あると思うんです。

この、「わかってはいるけど。」という部分と、実際に起こった行為のギャップが、
違うとき私たちは、そこで苦しむんですね。

よく観察してみると、頭の中の機能は、
今のこの瞬間に起きてることには口出しできないです。
起こった後と、起こる前しか、身動きできません。
だから、起こる前とか後に、頭の中の人が納得できなくて、
後悔が生まれたり、否定をしたり、嫌になったりしてしまう。
これが、そうはしたくなかったのに、なんでそうしちゃったんだろう。っていう部分です。

けれど実際に起こっていることというのは、全体を通した一連の働きということで、
それぞれがこの世界で割り振られたパートです。

どういうことかと言うと、この世界のわたしたちは、ここ(ハート)に来たことを、
すべて引き受けて丁寧にやるだけ。これで全てです。

例えばダイエットしたいとおもうのに、お菓子を食べてしまうのも
仕事を進めないといけないのに、映画を見てしまうのも。

お菓子を食べる・映画を見る。という振り分けで、それが起こりました。
この反対にも、あるときには、ダイエットが成功する。
仕事がバリバリ進むっていう振り分けが、起こったんです。

このブログも、自分の為に書いている等の理由は見つかりますが、
私の頭の中ではいつも、こんなこと書く必要ある?とか、
私には、何も説明できることなど無いのにね。とか、色々よぎっています。

けれど、起こっていることは、ひたすら書くという行為でして、
私ではなく、見えない力に書かされている。ということなんですね。

これが、全体のバランスとして、調和がとれているということです。
つまり、それで一連の営みが上手く回っているということです。
それがどんなに道理から外れたことだとしても、です。

これが、人生は頭(思考)ではコントロールできないということなんです。

私たちの日常では、何かある度に頭の中でいろいろ理由を探して、
自分を納得させたりして、話を完結させようとしてしまうけど、

本当のところでは、頭で考えても決して分からないもっと深い、
全体を通したつながりがある訳で、
そこでジタバタすることは、全くないよってことなんです。

だって、もしジタバタしたら。
例えば、これは自分が~したからなんだ。それでこんなことになったんだって、
更に苦しくなるわけで。

駄目な自分。という、否定の想いが世界へとすぐに投影されてしまうので、
よけいに深刻になってしまうんですね。

何が起こったとしても、そこに理由がない。目的がない。
そして、何も悪くないって、ちゃんと理解できることって、
心と暮らしををすごく楽にします。


だって、起こることはそのままでいいんだよ。ってことだから。
責任に感じなくっても、ただそうなっただけだから、
何をするにも安心して、楽しんでいいよ。
安心して悩んでいいよ。ということなんですね。

私たちは普段、頭の中で考えが交差して忙しいので、
自分には何もできないとか、何のために生きているのかしらとか。
時には自分や誰かを責めたりもね、あるし。
ハッピーだけを考えられない時だってある訳ですが、

本当はどこにも、悪い人とか悪い物は無いし、
同じくして、良い人とか、良い物も無いし。
正解だの、不正解もどこにもないし、
やるべきことや、やってはいけないことも、どこにもないし、
実は誰も何もしていないし。ってことなんです。

実在があるのは、すべての融合するたったひとつの点。無。ただそれだけです。

いつも書いている事ですが、主体が無ければ、客体は存在できないので、
主体である意識無しには、この想像世界は成り立ちません。
つまり、意識が、原点(最初)です。

その原点(無、本質、神、真我…)が見ている夢の世界が、
この地球、そして宇宙だということです。

だから、宇宙はわたしたちの中にあるということになります。

みんなそうですが、この世界を鑑賞できるってことは、
主体である意識がひかりを灯してるということです。
自分自身なので当たり前なんですが、ずっとずっと一体です。(笑)
離れることは出来ません。

そこには、平和しかないのでね、
この世界で感情の行き来に忙しくしていると、気づかないだけで、
みんなのこころ奥深くには、いつも平和があるんです。

頭の中の会話がなくなると、平和になるのは、
私たち自身が、平和そのものだからなんですね。

それでも私たちの大半は、これまで、
頭で考えている自分を主体と見立てて生きてきたのですが、
これも、世界が変わってくれば自然と、変わっていくことです。

現に今、とても多くの人がいろんな形で目覚めの体験をしているんですね。
ほんとにワクワクしますね。喜びとしていれるようになるのですから。🌟

全てをまとめると、
本物の主体として生きる時が来たから、雲が去りはじめますよということです。
それが、いま地球で起きている事です。🌼🐞