Thoughts that fade away(2)

「薄れゆく思考」

多くの人が、結果が全てと言う考えに重きを置いて、
何の疑問も持たずに頑張って生きていますが、
詳細を見てみれば、人類が長いこと思考を偽の主体として生きてきたことで、
不本意ながらにも、多くの害を作ってきたことは確かです。

では私たちは何のために人間をしているのでしょうか。害を作るため?

答えは、何のためでもありません。

この質問をする思考自身が、本当はどこにもいない事に気づく為の人生です。
思考(自我)が、生命の主人の座を降りるための人生です。

もっと言えば、幻想を見抜く為の人生です。

思考が、人生を良くすることを完全に諦めるために、様々な体験をしているのです。

良くすることを意図的に諦めると、何がおこるか分かりますか。

思考(自我)の沈黙です。

思考(自我)は、人生を良くするためだけに忙しく働くので、願望無しには無理です。
よくすることを諦めると、他にはもう何もできないのです。

わたしたちはこのことに気づくために、人間の姿をとって、
とことん経験して、いろんなことを味わって、とことん納得する。
その為だけに生まれてきました。

高次元の自分は、そのすべてを理解し、完璧な体験しか地に降ろさないので、
現象世界で何をしていても、それは結果の為ではないことを知っています。
知った上で、その体験から本来の姿へ戻る道へと、
一体となって明かりを灯しているのです。

名前を持つ姿形としての自分が、郷里へ帰りたいがために人生が起こるので
大袈裟に言ってしまうと、荒れようが、果てようが、それが完全なる道筋です。
言い方を変えれば、思考(自我)のスペースを狭めるための背景なので、
それ以外には何の目的も理由も、意味も、無いということです。

🍂 🍁 🍂

わたしたちは、苦しむために生きていません。
既に至福そのものなことに気づく為に生きています。

このことは、確かな道を照らしている言葉だと思います。
苦しむために生きていないとは、
人生には、時に望まないことも起こるけれど、
私たちはそれを上手く避けるために、生きているのではないよ。ということ。

この世界の現象に苦しむ“誰か”は、実は最初からどこにも居ないんだよ。
越えてしまってね。というメッセージが込められています。

結局何が伝えたいのかと言うと、

人生には、私たちが思ってきた様な重々しさや、
シリアス(深刻)さは、全くないよという事なんです。

このことに、一人一人が気づくための投影の世界です。

そして、このことを知ったわたしたちが、良くするのを止めた(諦めた)とき。
全てひとりでに良くなっていく。のです。
押すのを完全にやめたら、扉は勝手に開きますよということです。

他の言い方では、
駄目ではないけれど、駄目だと思うなら駄目と思っていていいし、
何の心配もしなくてよいけれど、心配したいなら心配していても良い。

それがいま、起こっていることなのであれば、そのままで完全です。

タイミングや、プロセスは皆それぞれなので、
人生が、望むままになることを今見せられているのなら、
思いっきり頑張るだけだし、
もし限界を見せられて、諦めどきと観念できるのなら、
手を引いてしまえば本来の目的に合流です。

このことが、来るものは全てそのまま受け止め、
ありとあらゆる努力から手をひいてしまう
ということです。

現象世界に現われる全てには、いつか必ず終わりがあるという理解だけあれば、
何があろうと、それだけで十分です。


私たちが、自主的に生きるのを止めたとき。
人生はそこで初めて、自動的な自主性へと切り替わっていきます。

これがわたしたちのあるべき自然な姿であり、究極の真実であり、
これだけ分かってたら、他何もすることないです。

私のように、宇宙の仕組みにしか興味の無い者が言うのも可笑しいですが、

私たちが本質から離れることは、どうしたってできないので、
その存在のことすら忘れ、手放してしまっていいです。

精神世界/真我の知識も、維持しようとすると、ただの重荷となるので、
見聞きが起こっても、出来る限り知ったそばから捨てて、
今見える景色だけを純粋に楽しむべきです。

(出来る限りというのは、過程次第ではとことんやるという意味です。)

人間をしている内は、来た事すべてが「あり」です。
「あり」じゃないことは初めから来ないです。

思う存分、やりたいと思う事して、感じたいように感じ、トライさせて、
来るものは来させて、感じるまま、起こるがままに動いて、時にはもがいて、
今、目の前にあることに、目一杯なりきることだけです。

そんなのは当たり前で、ありきたりじゃないと感じますが、
この普通の事をするたびに、
思考が起こった出来事から判断し、裁き、物語を作り、
ありのままであることを止めようとする力が働くから、
苦しみとなり悩みとなる投影を、いつまでも出し続けていくのです。

けれど、すべてから手を引いたときに初めて、この普通のことに感謝し、
何の疑心も物語も、結論も持たずに、

ありのままを、ありのままに受け止めることが出来ます。

そして最後に、もう一つ。

このブログでも、そのような記事があったかもしれませんが、
波動を高めるのは自分次第という話しをよく見聞きします。
次元をあげる為には、これをする、あれをするとお勧めする話もあります。

ひとつのアイデアとして、聞き流してもらえたらと思いますが、
伝わり方が別にも取れてしまうので、必要な方へ書き留めておこうと思います。

波動を高めるのは、思考の自分が選べる事ではなく、
高次元の自分と一体となって起こります。
思考がどんなに巻き込まれていようが、クリアであろうが、
身体が寝て暮らしていようが、修行を活動的にしていようが、
それが起きる時は、思考の自分の意図しないところで、
有無を言わさずに起きてしまいます。

これをした、あれをした結果で、手に入るものではありません。

ましてや、ポジティブで居られなかった。間違いをした。
駄目な人間だから。カルマがある等で見放されるような、
不自由で、狭い囲いの中に私たちはいません。

人間界で言う間違いをしない人は、どこを探してもいませんし、
ブッタやキリストでさえ間違いはします。

そして、ポジティブでない=ネガティブでは無いですし、
良い人間でない=駄目な人間でもありません。両方の融合が、無(調和)です。

それぞれの内が、無(本質、神…)なので、元からそれはあります。
そこから外れてこの世界が存在することは、できません。
それぞれが、全ての完璧なタイミングと、素晴らしい道筋を知っていて
外側に頼らなくても、何の学習をしなくても、今あることで完全で、
起こるときはそれが起こります。

ある過程でどこかから、きっかけとなるメッセージを受け取ったり、
これをすること、あれをすることが自然と起こることもあります。

そして、ある時にグル(師)を登場させたりすることも含めて、
外側に現われることは、すべて内側から出したものです。

それらのきっかけを出したのも、高次元の自分で、
全てが一連の完全な道筋となっています。
ですので、安心して任せていたら良いと思います。

長くなりましたが、読んでいただいてありがとうございます。🌞⛺

もう終わりに近いですが、9月は浄化の強い月となります。🌜
みなさまの歩幅で、起こるべきことに身をゆだね、
心身ともに健やかにありますように。

わたしたちが、深い愛で一つに繋がっていることに、こころから感謝します。🍂