Surrender

近頃は、サレンダー(本質への降伏)のメッセージを強く受け取っています。
ポジティブを維持すること、明るい光を意識することももちろんですが、
同時に手放すこと、そして受け身になることも、
意識の拡大に伴って通る道のりです。

ある程度の手放しが進んでも、個人としての『私』に執着のあるままでは、
どうしてもそれ以上先には上手く広がれません。

ですから、ある程度のひかりの拡張が起こると、
更なるステップとしては、宇宙全体のエネルギーと完全に調和することが起こります。
完全に調和するということは、個人としての『私』としてではなく、
宇宙の一部として機能することを認める。ということです。

もしも個人的に、どうしても手放せない何かを抱えている場合は、
否が応でも手放しを促される方向へと進むかもしれません。
具体的な例では、物事が滞るとか、
なぜだか上手くいかないなどの現象が起こり続けます。

その時に踏ん張って、いつまでも努力するのも自由ですが、
見えない力に気づき、ただ単に、個人ではもう何も出来ない事を認めるだけでも、
こんなに楽になるのかと気づけるかと思います。

人生は自分自身が切り開き、
理想を目指すことを長らく教わってきた私たちの頭の中には、
個人として、これまでに願ってきたことが沢山ありますし、
サレンダーするという事自体に、自由意志を奪われるような認識がありますが、
それは、真逆です。

わたしたちは常に、形あるものを手にするというパターンの中に、
一時的な幸せを盲目に探し続けてきたので、
記憶や思考の求める“物質的な幸せ”を自由に操れる力を得ることが、
本物の自由と思い違いをしていますが、これでは新たな鎖に繋がれてしまいます。

真の自由とは、期待や執着、思考、古い記憶、時間という閉鎖、
このような様々な個人としての『私』という重荷から、解放されるということです。

そしてこれこそが、全ての者が人生を通して与えられる「気づき」です。
誰もがこれを、受け取ることになります。

意識=全体(宇宙)に全てを委ねるということ。個人の存在の放棄。
この解放が起こった時に、
私たちのすべては、完全な働きであることを即座に理解します。

現象はただ起こり、人生は完璧です。
頭ではそうは思えないことを含めて完璧です。

個人の“わたし”が人生を動かしている訳ではないからです。
宇宙の叡知がこの世界を営んでいて、どこに不具合が生まれるというのでしょうか。

ですから、今どのような窮地に在るものも自分を責める必要は、全くないのです。
そして同じく、世界を責めることも、ないのです。
究極を言えば、誰も悪くないし誰も間違っていないからです。

ただそれが、この身体に起こった。ただそれが、いま世界に起こった。
それ以外に深い意味も訳も、ありません。

記憶も、想念も、無である私たちの意識へと自然と沸き起こり、
そのままにしておけばその内消えて無くなりますが、
それを深読みし、個人の悩みとして自分を責めたり苦しんだりするから、
先の見えない霧に包まれたような感覚へと変化してしきます。

思考が世界を創ることは変わらない法則ですから、
悩みを持ったまま歩きまわれば、その重みをフルに感じることになります。

自分の出した波動が、そっくりそのまま戻って来るからです。

つまり、個人で人生と戦っているうちは、
全体としての力は完全には有効にはなりません。

創造主は、自分の子が窮地に立たされていることを感じれば、必ず助けに行きます。
ですが子が一生懸命に、物質や頭を使ってその窮地と戦っているのを見たのならば、
創造主には手も足もでません。
この宇宙はそれそれの心が見ていること、求めるものを、ダイレクトに与えるからです。

疑心でいれば、疑心しか戻ってこれません。
信頼でいれば、信頼しか戻ってこれません。

私たちがずっと願って探してきているものは、本当は何なのでしょうか。

それは他の何でもなく、信頼する心=やすらぎです。
そしてこれは、どんなに素晴らしいとされる体験や物質を手にしても、
与えられるものではありません。

この安らぎこそ、私たちの本質そのものだからです。
もう既に安らぎそのものであるのに、新たに得ることは出来ません。
神であるのに、神になりたいと願ってもそれはもう叶っています。
ですから、自分自身がこの事に気づくことしかできないのです。

ポジティブでいるとか、楽しいことを選ぶ事で人生を良くするとは言っても、
それが出来ない時もあります。意味もなく、落ち込む時もあります。
個人の私としての人生を生きている限り、
どこか流れが滞り、どこか満たされない感覚が続きます。

ですから、私たちは、
私たちが、本当に求めていることが何なのかを知らなければなりません。

幸せになろうとしてきたのは、私たちではなく、
私たちのふりをしている架空の自分であり
それは、過去や未来にのみ、幸せを描く性質を持っているので、
今この瞬間にくつろぐことを、遮り続けるエネルギーを放出します

これまでもこれからも、宇宙は常に今現在の瞬間しか存在していません。

過去や未来に架空の自分を求め続けたとしても、
存在しない場所には何もみつかりません。
これでは、本質そのものの安らぎに気づくことが出来ずに当然です。
このことにいい加減気づかなくてはなりません。

目の前の不安に目が行き過ぎると、中々気づけないことですが、
例えば、当たり前に朝普通に目を覚ますことや、夜眠りにつけること。
太陽があって、雨が降って、大地が潤っていること。呼吸ができること。
歩けること。笑えること。
今日も美味しくご飯が食べれて、好きなことがある自分。
感謝することや幸せを感じられることが、どの瞬間にも幾らでもあります。

世界は既に美しいのに、
それでも未来過去の構造を強く握っている限り、このことには気づけません。

苦しみとなる全ての原因は、
こうしなければならないという決まりがあり、その決まりとそぐわない時。
シンプルにこれだけです。

この決まりこそ、手放しきれない記憶や思考であり、
多くの者が、既にある幸せに気が付けないでいる理由です。
ほんとうは決まりは、何処にもありません。

これまでの個人としての自分から、創造主としての自分に目覚める。
『記憶や思考である私 』 を完全に卒業すること。
これが今、私たちの新たな世界に起こっていることです。

愛の共振となる全体への呼びかけが起こり、
本当の姿へ戻ろうとする力が働いていますが、
そんなことよりも、個人にとっての欲を叶えようと執着してしまう。
変わることを恐れてしまう。
多くの者が本来の姿の目覚めを感じながらも、
一歩手前のところで、空虚の中に戻っていってしまうのです。

在りもしない空虚にこれ以上しがみついても、何の意味もありません。
直線上の未来や過去が何処にもないことに気づき、
これまでが不幸だった。そして、これから幸せになる。という偽の壁を取り壊す時が来ました。

このことに気づいた者から、
そんな壁は、フィンガースナップで壊してしまって下さい。
本質としての喜びとして生きる覚悟を決める。
先に進むことを意図する。それだけです。

もう個人としての自分が努力する必要はありません。
どんなにのんびりしてようが忙しくしてようが、
なることは、なるようになるし、起こるべきことは起こります。

そして、起こることが無いのならばそれはそれで、
今目の前にあることを楽しむ。ただそれだけです。

未来も過去も本当は無いのだから、当たり前と言えば当たり前ですが、
人生、何の予測もできないからのサレンダー(降参)なのです。
もしも予測ができるなら、誰もサレンダーなどしません。
これこそが、宇宙からの贈り物、恩恵です。

本質としての喜びとして生きる覚悟をしたものには、
この秘密が明かされて、完璧な現象が、起こっていきます。
もっと言えばサレンダーが起こることも、選択の余地はありません。
更なる進化が来たことを喜び、
全体と一体になることを歓迎してください。

この世界が無限の愛で包まれているという理解に、皆さまがくつろげますように。🌠