Nothing to Learn

「ありのままで 」

全体意識が上がっていく時は、内側の変化がめまぐるしいので、
知らぬうちにも、外側の世界をあわただしく見てしまいますが、
これまでも変化の時はいくつもあったわけで、
ずっとそんな風にやってきました。いろんな風が来ては去って。

実際は水面下(内側)でどんどん変わっていて、
外側の自分が踏ん張ったり、心配することなく世界は動いていきます。
安心して任せていれば、とてもポジティブなことだと分かります。

これからどうなるのか、何が本当なのか、周りの世界が落ち着かないのは、
自分の視界が、あわただしさに占領されてしまっているだけなので、
そこから距離を持っていれば、私たちがその中に関わることはひとつもありません。
究極の真理では、ほんとは何も起こっていないのだから、大丈夫です。

とはいっても、今私たちが人間をしている以上、
外側の世界も、内側の世界も、両方あって一つの世界。
どちらともが補い合って存在しているのが宇宙であり、地球。
という中間のところに立って、そこからの景色を眺めてみると。

もちろん本質である無の私たちは、幸せと平和だけで当然で、
それが自然な姿です。無なんだから、何の悩みもない状態。

そうならば、対となっているエネルギーにも
自然な姿ということで、同じことが当てはまる。
物質世界の形ある私たちは、色々迷ってて当然なんですよね。
悩まないと決めてどうにか出来てるなら、これまでも悩みは生れませんね。

この世界の中では、自分の意思でどう生きようと決めていたところで、
出来ないときは出来ないし、出来るときは、出来ちゃう。
これは多かれ少なかれ、誰もが経験から分かっていることだと思います。

何故かと言えば、ひとつの意識が運営しているのがこの無限の宇宙で、
ここは、すべてが一つに繋がった全体の調和で成り立っているからです。
個人の自分で選んでることは、はじめから一つも無いんです。


これから自分に起こることが分からないから、
私たちは不安になったり、取り越し苦労もしてしまう訳で、
この世界を生きている感覚にとっては、これが自然なことなんですね。

“この世界に起こること、何の心配もしないで大丈夫。 ” を知ることは、
もちろんとても役立つことだけど、
同じくして、不安や悩みが起こるのも、ごく自然の現われとなるわけです。

そもそも、完璧(愛)以外にはなり得ない無が、自分を知りたくって知りたくて、
ビックバンを起こしちゃうほどに、強く求めて作った世界がこの宇宙なら、
無にとっての世界って、完璧(愛)じゃないことも含めた色々を映し出す場所です。

その中には、波動の高い惑星や存在もあって、
ほぼ自身(愛)に近いものも、あるのかもしれないけれど、
地球は、その中では波動の低い惑星なので、完璧(愛)からかなり離れてます。
実際には全く離れてないけど、愛を感じずらい設定ってことです。

出来ない事があるのも、駄目な自分があるのも、悩んで不安になるのも、
それが当然なんですよね。
だってここは、愛が愛でないものも見る場所なのだから。

私たちは長い間、人間の作った完璧を求めて、
それだけが正解だと思って生きて来たと思うんです。
だから上手くいかないことに自分を責めたり、変われないことを苦しんだり。
水をこぼしただけでも、あー駄目な自分。って、
自分を恥じてしまうこともあるじゃないですか。

じゃあほんとうは、その上手くいかない事も含めて完璧っていうのが、
全体を通した宇宙の働きだとしたら。🌼 もうお手上げですよね。

そうであれば、出来ない事で完璧かもしれないし、
うまくいかないことで完璧かもしれないし、
個人の自分には全く予測のできないこと。判断の付けようもありません。

できることは、ハートを通じて自分のところに届いた気持ち、
素直にそのまま演じることだし、本質の自分としては、それをただ観察すること。
これだけなんですね。

そしてこれは、改まって新しく学ぶ何かではなくって、
これまで私たちがずっとやって来てることです。

例えば虫でも、木々草花でも、自然にどんどん成長します。
蝶々も、かわいい青虫だなあと思っていたら、誰に教えてもらうことなく、
さなぎになっていき、セミも時期が来ればちゃんと土から出てきて木に登ります。

人間も、これと全く同じです。もうすでに、ちゃんと生きています。
だって、それしかできないから。
本質の世界や現象世界のそれ以外をどう生きれましょうか。
そこには、外れた道なんてはじめから一つもないんです。

だから、これからの私たちが向かっている場所って、
各自努力して、更に完璧な自分にたどり着くことじゃなくて、
そもそも完璧にはできないから、そんなの手放してしまおう。って気づくこと。

何をしてたって、それで大丈夫ってことです。
一つの意識、それ以外は何も存在していないので、
ひかりとして、ただ純粋に楽しめればもうそれでOkだったんです。

完璧じゃないことを認められるって、すごく良いことでないですか?
ほしかった物が手に入った時よりも、喜べることだと思います。
できなくっても大丈夫。間違えても大丈夫。完璧じゃなくって大丈夫。
すごい楽ですよね。

人間の考える完璧な人生を生きるために旅にでて、
なんとかしなくちゃと頑張っていた方の幻想を、見破って戻って来る。
求めていた物が、求めた気持ちも含めてはじめからどこにも無かったことを知る。

それが旅の終わり。実は一歩も旅には出ていなかったという訳です。

この世界では、調和の元に全体の現象として起きることが起こってるだけ。
そしてもっと言えば、私たちは選んですらいません。

私という幻想は、個人としてはこの世界をリアルに維持していますが、
実際には、無と、動の境目となっている境界線の様なもので、
ただの感覚なのです。
マインドも 記憶も実は初めから何処にもありません。


繰り返しになりますが、私たちには頑張って外側から学ぶことは一つとなく、
自分よりも優れた特別な誰かというものも、存在しません。
どんな賢者たちも、特別な力のある人も、みんな同じ人間や宇宙生命で、
おなじ枠組みの中の世界で生きてることに、変わりないのです。

おんなじ作用があって、おんなじ仕組みの上で、
おんなじ風に生命を感じている。優劣などは最初から幻想です。

何かの違いがあるとすれば、この世界で生きている感覚が、
安心しているか、していないかの違いだけです。
分かりやすく大げさに言えば、
生きることに受け入れ態勢か、戦闘態勢かの違いです。
そしてこれだって自分で選んでません。

人間だから失敗するし、出来ても、出来なくてもそれで良い。悩んで当然。
だって私たちは神でありながら、ここでは神じゃないんだもの。
このことを知ってるから、来るもの堂々と拒まずに受け入れれる。
すごく生き易いですよね。

例えて、庭に蜜蜂がいて、全部の蜂が人を刺すっていう誤った認識があれば、
なんとかして捕まえようとか、逃げようとか必死になって疲れるけど、
蜜蜂は、こっちが何かしない限り刺さないよって分かってたら、
気にしないから、体力も消耗しないし安心してその場に居れます。

だから知ることってすごく大きいです。
しかも、知ったことをそう思えるか思えないかは、さほど大切じゃない。
だって大丈夫と思えるか、思えないかを問う為にここに居る訳じゃないから。

たった一つの意識が、全体を通して演じているのだから、
何にしたって間違いは起こりませんよ。
どちらにしろ自分の認識している波動が、自分に戻ってくるのだから、
安心している以上、安心しか戻って来ません。
そしてその詳細は全てお任せだし、そのお任せを楽しむ場所がこの惑星です。

そしてもう一つは、
起きてることを、私たちに変えることは出来なくっても、
どんな時でも楽しんでいていんだよって、ってことはできるって思うんです。
どんなに落ち着かなくたって、私たちはこれまで通りにしか生きれないから。

そうゆうのひっくるめての、現象世界。やっぱり何してても大丈夫なんですよね。
この、大丈夫ってことだけ知っていて欲しいなと思います。

そして力の抜けた視界が、今この瞬間を楽しめていると(くつろげている)、
人生も自ずとサクサクしてきて、軽いものになるってことです。🍻

みなさまが、笑顔でありますように😊