Unconditional Happiness

「無条件の幸福」

そもそもの私たちは、
無条件に幸福で、平和であることが自然の状態です。
既にそのものでありながらも、
多くの者が、そこでない何処かに幸せを探し続けるのは、
思考する心・記憶が、今この瞬間に在ることを隠してしまうからです。

例えば許せないという思考が浮かび上がるとき。
その想いは、単に条件反射に合わせて沸き上がった印象で、
許せない対象物が、実際の苦しみを与えているのではありません。

その想いがこころを占領し、影となってしまうことで、
そもそもの、私たちの自然な状態である平和や幸せが遮られます。

調和のひかりを失った私たちは、この状態を不幸と呼びます。

人類を除いた他の生命には、思考する心はありません。
なので、すべてを超えた「今」、自由を生きています。
ゆえに不幸は存在していません。

人間は、この思考する心が足を食い止めることで、
今に在ることをすっかり忘れ、
何十億年を記憶の再生という無限のループに生きてきました。

学ぶ力、物事を良くするために前進する力、思いやる心。
これらは人間に与えられている最高の恵みです。
そんな私たちに足りないものはたった一つ。
与えられた力(こころ)を、正しく使いこなすと決意すること。
ではないだろうかと思うのです。

誤解のない様にしたいのは、心があることが悪いのではないということです。
努力によって思考が生まれない様にしても、
それはコントロールとなるので余計な苦しみとなるからです。

心は正しい使い方をすることで、とても素晴らしい機能をするので、
自分らしくいられて、軽量になる方向で使ってあげれば良いのです。

私たちがここに居る目的は、大きく言えば真の自分を知ること。
そして、平和、愛であることです。

この2つのことは、違う表現であっても同じことを示しています。
真の自分を知ることが、そもそもの姿である平和であることです。

真の平和とは、ある時にはあって、ある時は不在になるものではありません。
禅を組む・ヨガをするなど修業をすれば、一時的な平和は手に入りますが、
条件によって起こる感覚は、永遠ではありません。

私たちの本質は、無です。それは平和、調和、愛そのものです。
愛や調和という言葉にピンとこなくても、
「無」であること以上に強味がないことは、伝わると思います。

この状態は1分1秒でも私たちから離れること、途絶えることはありません。
その場所が私たちの本当の郷里で、
広い宇宙を超えたたった一つの、永遠の不滅/不変だからです。

ですから、平和や幸福は、探すことで見つかる何かではありません。
物や形、体験が私たちに与える何かでもありません。

今、この場所、この瞬間にそれはあります。
それが、私たちそのものだからです。
理由も、条件も無しに、全ての者が今平等に幸せ。
これが、私たちのあるべき姿であり自然な状態です。

これまで長いこと、思考の示す条件に伴った苦楽と共に生きることで、
私たちはその出口すら見つけられずに苦しんできました。
思考する心の中で、時間の枠に閉じ込められて、
思考の中に、幸せを渇望してきたのです。

はっきり申せば、思考は幻で、実在していません。
初めから入口すらないので、出口もありません。

思考の見る夢は、思考の見る夢の世界ですので、
この身体を通して現れ、いずれ去っていきます。
結局は何も残ることはないし、足跡すら残りません。
たまに顔をだして主人を喜ばせ、普段は不在である幸せは、
本当の幸せと呼べるでしょうか。


今、この瞬間にあることでどんな思考も、断ち切られます。
「今」の住人となることで全ての苦しみは、解決します。

思考の作る願いは、思考の叶えたい願いです。
思考が作る期待は、思考の見たい未来です。
思考の求める幸せは、思考の為の幸せです。

わたしたちは思考ではないので、
究極を言えばどの想いも、私たちではありません。

わたしたちの本質は、至高です。至高とは無であることです。

ブッタやキリストでさえも、無を超えることはできません。
これよりも上はどこを探したってないのですから、
私たちはこれまでも、これからも不動であり、
くつろぎと静寂の中に、動を観察することしかしていません。

自分を知る為には、自分では無いものを知ることだけで充分です。
元々ある、決して去ることのないもの。
それを隠すもの全てを取り除けば、本来のひかりは姿を現わします。
それはどこかからあられる何かではなく、もともとの自分にあるひかりです。

この理解があれば、この世界に繋がれて生きながらも、
この世界の中で完全なる自由を生きることになります。

あとは、好きなように起こることを来させて、去るものは去るままに。

好きな物、好きな事、出来る限りいっぱい楽しんで下さい。
興味のあること、何でもトライしてみてください。
欲しい物を抑えなくとも、コントロールを学ばなくても、
高いレッスンを払わなくても、仕事を辞めなくても、
どこに居ても、全ての者が平等に、自由であってください。

そして最後にもう一つ。

外側の世界で現れること。何に対しても、
不安を持ったり、疑心を持つということは、
武器を持たずにしても、戦っていることに変わりありません。
もうこれ以上自分を傷つける必要はないです。

戦うとはどんな形、どんな理由であろうと、
『思考する心同士の戦い 』 ということです。
世界に現れた不条理に対して、挑むことはいくらでもできますが、
無限のマインドループの中にあれば、尚更複雑となるので、
これではいつまでたっても、平和であることは守れません。

そのすべてを放棄して、くつろぐ/許す。つまり、本来の姿にあること。
これが私たちのここ居る意味を果たすことと繋がります。

これは権力に伏せるということではありません。
不条理など、もともと存在していなかったことに気づくこと。
そして、何があれども自分の平和を守り、愛であることを優先するということです。

これは私の知る限り、他の何をするよりも叡知に溢れ、美しい姿です。
他には、ゲームの中の立ち位置から外れる。という表現もできます。

今、この場で平和であること以上の目的は私たちにはありません。
世界がどんなに騒がしくしていても、自分だけは平和(あるべき姿)でいること。
これは何に置いても守るべきことです。

幸せ、平和、喜びは、常に、今、この瞬間にあります。
この「今 」 に在れば、思考・記憶である過去も、未来も存在できない場所です。

全ての生きる者に、愛が詩が響き渡りますように。