Cycle of Light

「ひかりのサイクル」

この世界の対象は、主体に観察されることで初めて存在します。
主体が観察をやめれば、対象は瞬次で消え去ります。
なのでどんな場面にしても、
外側の世界の誰かが個別に何かしているわけでは無く、
すべて主体の見た通りに現われているということです。

このことを知った時に、自分はいつも調和を望んでいるのに苦労ばかりだから、
全て思った通りになっているとは思えない。と感じるかもしれません。
注意して見てみると、『苦労ばかりだから。』と感じている時点で、
分離の世界へと意識が向いていることが分かります。

対象が現われるということは、主体が観察していたということです。
調和が欲しいという想いを持ち続けるということは、
自分には調和が無いと見ているのと同じことです。
見たままに、調和の欠けた世界を創造してしまいます。
つまりこの世界に苦労を見ることになるのです。

調和を見るというのは、そちらに意識を向けるということです。
完全な調和の中に、世界を見ています。
そうであれば、他の者から見れば苦労とされる何かが起ころうとも、
本人はそれが苦労には感じません。現われることは必然の出来事と捉え、
何においても輝きの中の恩恵となるからです。

世界に完全を求めることはありません。
すでに、世界に完全を見ています。
世界に輝きを求めることはありません。
すでに、世界に輝きをみています。

それぞれに、この平和的な理解(視野)があるということが、
新しい地球での土台となります。
目に映る世界の中へ変化を挑むのではなく、
自分の心がその景色を自分に見せている。
このことを明確に認識することが、
一番確実に、人類の混乱への解決案となるわけです。

別の言い方をすれば、
良い悪いの視点では物事の判断はできない。ということです。
自分が望み選んで見ている映像に、良いも悪いもありません。
もしも好まないのであれば、もっと別の好みの映像に変えるだけです。
この様に、分離から外れた視点。統合の位置が常識となっていきます。

今までは当たり前にこの世界と同化していて、
尋ねもしなかったことも、これからは次々と明るみになっていきます。
ありとあらゆる現象の答えは、
たった一つではないという確信が持てるのも、その中のひとつです。
つまり、私たちは世界という囲いを超えた存在だということです。

ここまでの話でも分かるように、
世界の見え方は、見る者の心の在り方によって左右するので、
これが絶対という答えは、この世界の中のどこを探しても見つかりません。
言い換えれば、たった一つの答えが自分の中だけに見つかるという事なのです。

私たちの大元である普遍の意識上に、
思考の数だけ想像の世界は創造されます。
並行世界に作られた創造の、どの自分を選ぶか。
どのページを開くかは、自分が決めることです。
続ける/やめるの判断も、出来る/出来ないの判断もすべて自分次第となります。

今この場で、海を越えたある村の平和を想像します。
豊な食べ物と、きれいな海。
水が綺麗で魚たちも木々草花も生き生きとしています。
子供ははだしで元気に走り回り、家族も、また隣の家族も、楽しく笑っています。
すると、その風景は即座に創造されます。
何の変哲もない想像の様でいて、この想像がエネルギーを動かすのです。

人類の想像の数だけ並行世界が作られるので、
多くの者が平和のくつろぎの中にあればあるほど、
豊かなエネルギーが倍速に力を増やし、豊かな地球を創造します。

同様に、貧困、戦争、いじめ、病気、テロなどのネガティブのリリースも、
紛れもなく私たちの心の闇が積もり積もって映し出していることです。
世界を不完全と見る者が多ければ多いほど、その力も増すことになります。
人類が地球をそのように見て、想像し、エネルギーを動かしているのです。

このことからも分かる様に、
平和を説くのには、自分が平和で居ることが第一優先です。
他の誰がどうかではなく、自分が、今平和で居るかです。


当たり前の話しをしているようで、
目の前の景色だけに気を取られ、この視点が持てずにいたので、
長いこと人間同士の間に平和を保つことができませんでした。
人類は高い頭脳を持ったことで、生命の中で一番愚かな生き物となりました。
そして与えられたこの智慧という機能を、正しい使い方に導くまでに、
私たちは十分な時間を費やし、扉は開かれたのです。

テレビや映画もそうですが、自分が観るのをやめれば、対象は消えます。
観続けるから、対象が現われ続けます。
ですから、世界を不完全と見続けるのを意識的にやめれば、
そこにあるのは、平和だけです。

私たちは一人残らず、元からひかりの存在そのものなので、
豊かなエネルギーを動かすには、元の姿に戻るだけです。

踵を返すだけで、他に特別な習得など必要ありません。

思考や記憶の示すたった一つの正解に、
それが自分にとっての真実であるのかを問うことを、
どんなときにも守ることで、
本来のひかりを遮っていた力は解き放たれていきます。
気づき。というたった一筋のひかりが差すだけで、
どんな大きな闇も、必ず消え去ります。


真の主体は、何色にも染めることのできない意識そのものです。
同時に、この世界の中だけでは何色にも染まることができます。
つまり色々な役を、演じられるということです。

それぞれが選んだ、身体という衣装の持つ名前や好みは、
地球を経験するための素敵なアイテムですが、
私は誰それで何々、というような詳細な役柄は記憶の中以外では、
無効力なのです。

私たちは長いこと、外側の世界だけにスポットを当ててきました。
起こること全てを個人の自分、もしくは世界の不徳として受け止めて対応し、
狭い世界に身動きが取れなくなければ、自然でいられなくて当然です。
いつかは大きなエネルギーとなり爆発してしまうでしょう。

宇宙は、意識の楽しむ映像の世界です。
私たちはこの映像の中では姿形がありますが、
実際には何にも縛られていないし、何も縛ることができません。
起こることすべては、自分で選び、映像の中だけで楽しんでいることです。
これが私たちの持つ創造の力です。

外側の世界だけに心を向けていれば、心は外にだけ世界を描き続けます。
内側の世界に心を向けていれば、心は内側と外側の世界をしっかり繋ぎます。
そこには、決して揺らがない愛と、平和があります。

それでも迷える心と共に世界を見続けますか?

このことを知れば、あとは好きな世界へとカスタマイズして楽しむもよし。
何もせずに無の境地としてあることで、宇宙の計らいに身をゆだねるもよし。
どちらにしても完全な平和の中で真にくつろぐことになります。
余計な力みのない状態とは、真の姿であるということなので、
どの世界でも無敵なのです。

新しい地球の舞台がしっかりと定着するまでの間、
自分の土台だけは望む方向へ向けておくことが大切です。
付け加えて、望む方向とはもう既にその場所に居るということですから、
楽しめないことは選択しないで大丈夫です。
不安になったり心配したりする位ならば、
何もしないでのんびりと、好きな事をしている方が余程波動は安定します。

波動、次元が上がる。というのは、
それより下の次元が無くなることとは違います。
大きい輪っかの中に、小さい輪っかが入るのと同じことです。
いつでも自由に、輪っかを下げようと思えばどこまででも下がっていくので、
なにはともあれ、自分が明かりを灯せていられるかを優先します。

例えば人間関係。
今も既にそうですが、これからの地球は同調する者同士が自然と集まります。
生き方の土台が違う者と関わることは、増々減っています。
ですから、違和感のある人とは自然と距離が生まれますが、
自分は冷たい人間などと後ろを振り返らないで下さい。
それぞれ、学び方も見えている世界も全く違います。
世の中にはいろいろな生き方があるので、
運がないことを自慢している方もいれば、古い記憶を離せない方もあります。
それが本人が望んで見ている世界で、完全です。

時間の枠の中にがっちり囲われている〈迷いの心〉を見ると、
ひどく疲労を感じることがあると思います。
これまで自分自身も、同じ迷いの心を見ていた為に投影していますが、
今の自分が別世界の域なので波動の違いでぐったりしてしまいます。

間関係に限らず何においても、違和感を感じるということは、
いまの自分には必要のないエネルギーとして浮かび上がる、
変化を知らせるサインとなります。 自然のサイクルです。

波長が合っていないということなので、これまで親しんできたとしても、
自分の波動が変わったサインです。愛を持ってリリースして良いです。

どちらにしても誰かと自分の間には、
見た目上以外に一ミリも境界線はありません。
内側ではすべてがたった一つ、繋がっています。結局は相手も自分です。
ですから、創られた後の外側の世界に惑わされて心砕けば、
自分を進む道を優先にすることは守れません。
大切なのは、いま自分が何を選んで、何を見たいかなのです。

人類が目覚めていけばいくほど、連鎖式に他の者への気づきともなります。
家族であれば近くに居るので、自分の土台がしっかりしていれば、
何をせずとも、ひかりは選ぶ余地なく浸透していきます。
そして家族の親しい人へ、出会う人へとひかりの輪は広がっていきます。
ですからどうしたって、ほっといてもいつかは皆そうなります。

ですが、ここのところ「躊躇なく新しくなることを受け入れる。」
というようなメッセージをとても強く感じています。
地球はどんどん変化しているので、
後ろを振り返っても、そこにあるのは記憶だけです。
地球の変化を受け入れることなく、
違和感をかんじたまま記憶の中に滞在することは、幾らでもできますが、
新しい地球と歩幅を合わせて歩くという選択も目の前にあります。


知ろうという意欲があれば連鎖を待たずにも、
本来の自分にいつでも戻ることが出来ます。
押し続ける扉は必ず開くからです。
目的は皆同じ、地球を良くするためにここに居ます。
遠回りしなくても、答えはすでに自分の中にあるので、
いつからでも本来の姿として存在できるのです。