Take it easy

「気楽に行こう」

これまでの私たちは、
地上の自分が、自分だけの力で人生を生きることを宣言しながら、
苦労すればする分だけ幸せになれる。という信念のもとに、
頑張りながら生きてきました。

そうであれば同時に、
楽することが駄目なこと。という認識も生まれるわけで、
物や人の助けを借りることを悪いと感じたり、
自分ひとりの力で出来ないと意味がない。
というような感覚は無意識にも私たちに浸透しています。

少しユーモアを合わせた例えにするならば、
とても快適で大きな船で、楽園に行きましょうと誘っているのに、
自分は成功者だけが住める島まで、
泳いで頑張って向かう決断をしているようなもので、
生きている内にたどり着けるかも、
生きてたどり着けるかも、分からないというお話です。

もちろんこの逆に、
すいすいと船に乗って快適に楽園へ行ってしまう方もいて。
そんな粋な生き方をしたいと強く憧れて、
他の者も、自分も船に乗る決意を決めるのです。
すべてが一つとなって繋がっている私たちは、
一人の人間が楽園に行く度に、他の者の決意をもひっぱります。

なので今頑張ってい泳いでいる者も、船に乗ることを選ぶ人数に比例し、
泳ぐことへの意義が段々と薄れていきます。
このことから分かることは、今がどうであろうと、
時が来れば自然と行くべき場所へと突き動かされるということです。

ここで伝えている楽園とは、成功者の島でもなく、
すべてがひかりだけの世界でも、
何もしないで自由自在に金銀が手に入る世界でもありません。
朝も夜も、ひかりも影も、
完璧にバランスの取れたこれまでと変わらない暮らしです。

ですが、その暮らしを観察する者が、自然とあるべきままの姿で、
肩の力を抜いて歩ける世界です。
どんな状況にも自然と感謝のできる、別の表現では、
あるべき姿を許すことの出来る、全く頑張らないシンプルな世界です。
シンプルで簡単な生き方のある 園。
単純明快、ありのままの自分が迷うことなく姿を現わせる、
戦いのない美しい場所です。

私たちは人間なので、
目に見える輝かしいものに心動かされるのは至極当然のこと。
然りとて、私たちが地球で経験している真意は、
物を増やすことでも、お金持ちになることでも、
後世に名を残すことでもありません。
物質を楽しむ目的と権利はもちろんありますが、
決してそれだけで全てではないのです。

当たり前のことですが、
この身体を離れれば物質も自然と消え去ります。
素敵な衣類も、身体がなければ楽しめません。
お金や評価も、身体を離れては使えません。
若さや老いも、身体を離れれば自然と消え去ります。

物質のすべてはこの身体も含めて、
地球で生きていく為に宇宙からお借りするツールです。
身体がある内は、ツールのすべては使い放題。
好きな時に好きなように、好きなだけ出し入れをできます。
そして時が来れば、どんなものも宇宙へとお返しします。

ここに居る間だけ、普段経験できない世界をみるために、
色んなツールを使って一人の身体を通した物語を、楽しんでいます。
姿かたちや名声を追うことなども、遥かに超えてしまう経験を今、
私たちはしているのです。
ですから、どんな瞬間もひとつと無駄となることはありません。

具体的な言葉で伝えると、
失敗しないためにここに居る訳ではありません。
後悔しないためにここに居る訳でもありません。
この反対に、
評価をもらうためここに居る訳でもありません。
目に見える実りを付けるためここに居る訳でもありません。

そうしなければ/してはならないという、これらの重圧すべてを含めた、
自分と正反対である動の世界を楽しむためにここに居るのです。

本来の私たちは無ですので、
空想では、何者/何物にもなれますが、
実在では何者でも、何物でもありません。

となれば、もうすでに実りはあるし、勝も負けも評価も存在しない。
失敗も後悔も、すべてを内包する地点の存在です。

私たちの見ているこの空想の世界の出来事は、
〈無〉である実在だけでは、何一つとできない経験です。
ジュースを飲むだけでも、空を見上げるだけでも、
水浴びをするだけでも、〈無〉の私たちには大変貴重な体験です。
まずこのことをはっきりと理解してしまえば、どんな状況においても、
善し悪しを判断する対象など一つもないことが明白です。

無駄とか、駄目という思いも、
ある出来事がこの世界で観察されたことで、
反応的に後付けされただけの解釈であって、
実際どこに間違った道があるというのでしょうか。
そんなもの、はじめから存在しないのです。

つまり、駄目でも全然いいよ。ということです。
これ以上ダイレクトな表現はありませんね。
駄目なのも全部含めて愛すべき自分、この世界にはそれしか存在していません。
あとは、自分の気持ち次第です。自分は楽か?気持ちが軽くなるか?
心に従って、重いなーと思うものはためらうことなく、
どんどん降ろしてしまってください。
すぐに実践できる方法としては、
考えた時に心が重くなるようなことは、その場で考えるのを即やめて、
なるようになる。と任せてしまうということです。

そうすれば新たな望まない状況は作らないので、
人生は直ぐに、とてもシンプルになります。
自分の本当に観たい学び、楽しみに集中できます。
そしてこのシンプルこそが、ありのままの自分が姿を現わせる場所です。

ここまでの話からも分かるように、
私たちの存在は初めからファンタジーです。
ですから、物語の進行に必要な道具の全ては、
すべて内なる自分(宇宙)が用意してくれます。

物や人の助けを借りることを悪いことと感じたり、
自分ひとりの力で出来ないと意味がないとして、
頑張って生きる宣言をしているうちは、
宇宙の用意したツールのほとんどを受け取ることができません。
すぐそばにあっても、気づくことができないのです。
苦労を観察するためには、それで良いのですが、
もしも、もうそれは十分済ませたと感じるならば、
その気持ちは、次のステップへと進むことを教えてくれています。

今住んでいる家も、飼っている動物も、庭の大きな木も、職場も。
すべては内なる自分(宇宙)が用意したものです。
これまでも、ちゃんと受け取っています。ただ、宇宙は無限なので、
これでも“ほとんどが受け取れていない ” という解釈になります。

ですから、すべては宇宙の吹かせる風のまま。
やって来るものは堂々とありがたく頂き、時が来れば宇宙に返す。
去っていくものは去らせる。これが自然な流れです。

記憶が何を語り掛けてこようが、どこに連れ出そうとしようが、
今見ている光景や、今見ている状況、
それらは原版なしには決して生まれなかった場面です。
いつでも先に、内側で見る思いが原版となって日常を観察しています。

ですから、今ある状況が望んでいることと違うと感じても、
何一つと心配することなく、
自分も、そして世界も、すべて完璧であることを先に見てしまって下さい。

そうすることで、世界は確実にかわっていきます。

記憶は、これまでとまったく同じだよと伝えて来たとしても、
心で感じる違いが必ずあります。
なんとなく、日のひかりがまろやかになっているとか、
海辺を歩いていると、
いつもよりもエネルギーをもらえる感じがあるとか、
なんだかよく分からないけど、鳥の鳴き声が美しいとか、
前はあんまり好きでなかった物が、ちょっと好きになっているとか。
なんとなくのひらめきや、小さな心の声こそが、
真実を伝えてくれています。
それが世界が変わった合図です。

無理に頑張ることで、身体が喜ばない事も、
喜びが隠されてしまうことも、経験を通して十分に分かりました。
苦労すればするほど幸せになれる。
というこれまでの不自由な信念は、ある意味別の形で花咲かせ、
あるままの自分が一歩前を歩く、入れ替わりの時となったのです。
入れ替わりを許可した者から、新たな学び、楽しみのはじまりです。

その新たな進化の場は、
頑張らないことがより心地よく馴染む場所です。
もうどうしよもうなくなって神頼みでなくても、
最初から神頼みすることが出来る場所です。
大きな船に乗せてもらって直接楽園へ行くことも、できます。
もう十分にしてきた。
もしくは、しなくてもよい経験を新たに増やさずに良い場所です。
もっと自分を信じて、新しい舞台をはじめてしまいましょう。