Just be there

「ただそこに居るだけで」

この広い宇宙で自分に何が出来るのかと思ったとき、
すべての者が、今すぐにできることがあります。
それは、自分はどれほど素晴らしい存在であるかに気づくことです。

複雑であることに頭が慣れてしまっている私たちには、
それだけでいいの?と感じるかもしれませんが、
このことには、それほどの大きな力があります。

地球にどれだけの人間が、
自分は不要な存在と感じながら暮らしているでしょうか。
どれほどの人間が、
自分はちっぽけで何もできないと、心の奥に影を見ているのでしょうか。
この想いは、人間界で恵まれているかどうかには全く関わりなく広がる影で、
世界中をみても、この否定のこころから生まれる苦しみは、
多くの身体を痛め、心を締め付けています。
そしてこの苦しみはダイレクトに地球の苦しみともなるのです

人間を経験している間は、私たちには時間の枠がありますが、
人生のその一分一秒たりとも無駄な時間と呼べるものはありません。
地球は宇宙の中ではとても低い波動の惑星で、そのおかげあって、
光と影の強いコントラストを経験出来る極めてレベルの高い惑星です。

ゆえに望む誰もが出来る経験では無く、私たち一人一人が超人級ですし、
それなりの大きな進化の目的を持ち地球人をしています。

呼吸するだけでも、もうすでに立派な生命で、
そこに在ることだけで意義があるのです。

赤ちゃんがお母さんのお腹に来てすぐに離れてしまったり、
死産となる時があります。お母さんにとって大変苦しい想いですが、
お腹に来てくれたことも、地球に来たことと同じことですので、
その間に赤ちゃんは大きな癒しのひかりを地上に降ろし、
お母さんはそのひかりを広めるお手伝いをしました。
その純粋なひかりが地球に行き渡り、
地球と、どれだけの迷いの心を救うのか数知れません。
どんなに短い期間であろうが、そこに在ることだけで既に意義があるのです。
ちっぽけな命などは、どこにもありません。

それぞれが何よりも優先して気づくべきことを、
シンプルな言葉にして伝えるならば、
何もできなくたって構わない、ただそこに居るだけで素晴らしいよ。
という事だけです。

このことからも分かるように、無駄な時間と呼べるものも、
後悔も失敗も私たちにはありません。
時間を巻き戻したいというフレーズは良く使われますが、
巻き戻ったところで、2度目に見る景色が美しく感じるかは全く分かりません。
なのであれば、見たい景色をこれから創るのはどうでしょうか。
私たちには、その力があるので成りたいように観ることでそれは叶います。

いつの時も今が一番ベストであることを確信することは、
日々の暮らしをハッピーに変えてしまうマジックとなります。
過去に戻らなくても、十分な幸せがここに在ることを、
今、この目で見ることが出来るのです。

私たちは、ただそこに在るだけで宇宙を一周できる力を持っています。
私たちが、宇宙(真我、創造主、本源…)そのものだからです。
自分の広げる豊かさや安らぎは、
家族や周りの人に行き渡り万倍にもなって自分へと戻ってきます。

このことは、これまで知らずに生きてきた人が大半です。
ですが知った後には自分の為に生きてみようとなります。
そこで初めて、内面の自分に寄り添う気持ちとなります。

私たちは、自分の家族や国のことは良く知っています。
もっと言って地球のことは知っていても、
宇宙となると何かとても遠いものに感じています。
けれど手元を見れば地球という惑星に生まれた私たちも、
人間である前に立派な宇宙人です。

それは遠い何かではなく、最も自分に近距離のもの。
正確には一ミリも離れていない物。
宇宙を知ることは自分を知ることと同じことなのです。

ここで話している宇宙とは、私たちの内面に広がる世界です。
私たちと切っても切れない、すべての生命と繋がる普遍の意識です。
完全なる宇宙に命が繋がる私たちは、完全なるものです。
無限の本源から現れている私たちは、無限の存在です。

このことを思い出すことは、とても意義のあることです。
自分は決して不要でないことを。
それほどの力があることを知ることで、世界は一瞬にして変わるからです。

そもそも私たち生命は、みんなが自分のために生まれて来ています。
自分のみたい世界を観るために喜びと共にここに居ます。
その喜びをすっかり隠してしまっているのが、記憶や信念です。

私たちの持つ考える心は実在がないのにも関わらず、
この様に信じている者の心を締め付けるほどの力を持ちます。
そのこころは、期待も執着も否定もします。
良い景色をみれば、その景色を今一度望み、
居心地の悪い景色があれば、そこは避けて通ります。
そうすることで悩みは生まれ、それが苦しみを生み出す結果となろうとも
記憶や信念に縛り付けられて身動きが取れないのです。

記憶は与えられた働きをしているだけで何も悪くはありません。
では、この身動きが取れないのはどこの誰なのでしょうか。
私たちのもつ素晴らしい心と頭で、そこを見極めることができます。
それが内観するということです。

それは自分の頭の中にだけある記憶であって、実在のない影。
このことを見破ることができれば、
喜びでしかない本来の自分が顔をだすことになります。

記憶から自由になることで、特別な誰かになれる訳ではありません。
何かがコントロール出来るわけでもありません。
誰かを上回る力を持つわけでもありません。
今までどうり人間に変りなく、暮らしは続きます。

ですが、人生は遥かに生き易くなります。
好きなものを好きと言える自由があります。
選びたいものを本心で選べる広い視界を持ちます。
考える心に実在がないことを理解しています。
記憶が記憶以上の働きを成さないことを理解しています。
頭の中の不要なやり取りが無くなり体力も消耗しません。

記憶から距離を置けるようになれば、この世界の物語を描いているのは
自分自身であったことがはっきりと分かります。
脚本家であり、演出家、そして演じ手も自分です。
私たちは、物語を自作して映写するほどの力を持っているのです。

記憶や信念に遮られ闇を見ていれば闇に世界を描きます。
そこから自由であれば、あとはどんな脚本を描きたいのか。
プロット(構想)を好きなように組み替えることも、出来るのです。

この気づきがひとりでに目覚めへと繋がります。
地球の波動は上がっているので、必要な者から自然に整っていきます。
この様にしてすべての者は本来の自分へと段々と戻っていくわけですが、
どちらにしても全ての者はすでに目覚めていて、それ以外はできません。
目覚めているのに、目覚めてないように振舞い地球人をしているのです。

なので私たちがどう生きようと、そのまま・ありのままで良いのです。

その中には初めから悟りを開いている者もありますが、
その覚者は、完全なる空の境地を人類に示すためにその人生を選び、
物を持つことや感情の行き来には一切興味を持つことなく、
自分に与えられたすべきことをしています。

そこを見習って、自分も感情をコントロールするなどして生きようと試してみても、
それが自分の選んだ生き方でなければ、流れに逆らうことになり違和感となります。
人生とはそれぞれの背景の違いがあってこそ成り立っているものであり、
自分の乗った船が、ふらりとその地へとたどり着くことに美しさがあるのです。
このことからも、向かう場所やタイミングはそれぞれなことが分かります。

覚者と同じように生きるべきかという問いにはノーとはっきり言えますし、
私たちが他の船から頂ける気づきがあればそれで十二分なのです。
なので、他の者も覚者と変わりなく自分に出来ることをするだけです。
自分の乗っている船が完璧に進んでいることに自信を持ち、生きる。
それが今の自分を優先するということです。

このことは忘れてしまいがちですが、自分の一番近くに居るのは自分です。
進むべき場所は自分だけが知っています。
誰にどう言われても、どう見られても、自分はどこへ進むのか。それ一本です。
自分以上に自分を分かってる者はいないので、
しっくりくる。ホッとする。ぱっと明るくなる。
その心の声が一番のガイドです。

この限定の期間、超人級の地球人をしている間。
この時だけの経験を、今私たちはしています。
他の何にもできなくても、
自分に向ける笑顔があるだけで、何がいけないでしょうか。
これだけで満点です。
それ以上に必要要素を求めないで良いのです。

その後のことは、私たちが心配することなくとも、
宇宙の計らいによってふらりと進み出すのです。

自分を大切にすることは、世界を明るくすること。
世界を明るくすることは、地球をおもいやること。
地球をおもいやることは、宇宙に喜びを伝えること。
宇宙に喜びをつたえることは、自分を豊かにすること。

何もできなくたって構わない、ただそこに居るだけで素晴らしい。
このことは、どんな時でも思い出してみてください。