Finite or infinite

私たちの目の前には、どんなときにも選択があります。

それは今日の朝ごはんをパンにするか・ごはんにするかというような
微笑ましいことからその他大きなことまで、どんな瞬間にでもです。

この基盤となっているのは、
有限の中で生きるか。
無限の中で生きるか。の選択ではないでしょうか。

完全なる無の創造物である宇宙には〈これが正解〉という答えはひとつもありません。
正に、どんな瞬間も私たちの選択に委ねています。

私たちはこれまで、小さな囲いの中に生きてきました。
詳細には個人の名前の付いた小さな囲のようなもの。これが、思考という有限の中です。

いままでこの中に生きてきた私たちは、
常に、自分を『誰か』に作り上げてきました。
ありのままの姿よりも先に、物事に付けられた名前を見てしまう、そんな感覚です。
初めて聞くもの、初めて見るもの等に心惹かれるのは
名札のないありのままの姿を見て心躍るのかもしれませんね。

性別、年齢、性格、職業、容姿・・
今の自分が演じている『誰か』にとっての『より相性の良いもの』を選んで生きてきました。
ほんとうは赤が大好きだけど、もう80歳だから黒を選ぶ。という具合に。

好きなことを選ぶのは、とても簡単であるのにも関わらず
個人で生きていると感じている時には見えない選択です。
正確に言えば、見えていても選ぶことが出来ないのです。

思考のつくりだす『誰か』。 何者かである私が、
個人を頑張ることで日常を安定させて生きていくためには、
自分の観たい世界よりも、
自分の観たくない世界を出さないようにすることの方がもっと大切だからです。

思考という有限の選択にあるとき、
私たちはこれまでにたどった景色の中に、ベストを探します。
自分の経験やどこかで見聞きした情報をコレクションした小箱。
この身体にとってはある意味では宝箱のような場所です。
2000年春、定年雨模様。2015年夏、初めての海外旅行美しい芸術に触れる。
それはとても丁寧なタグが付いた保管庫です。
大変巧妙にできた空間で色や匂い、感情までもが一緒に凍結されています。

私たちがこの地球の光と闇を経験するために
創造主が与えてくれたこの箱は、個人を守るある種のお守りかもしれません。
例えば、もう会えない人の想い出を見せてくれる。
それが気づきになったり温かい気持ちになったり、支えとなったりもする。
私たちが頼りすぎさえしなければ、とても素晴らしい働きを見せてくれる機能です。

お店で気になる赤いコートを見つけた時。
本心では、着てみたいな。と小さな声が聞こえます。
同時に、もうおばあちゃんだからこんな色は着こなせない黒でいい。が登場します。
ありのままの姿を見る前に、記憶を見る。
記憶にある情報に頼りすぎれば、真の判断から遠のいてしまう。

その光景は、普段の代り映えのない小さな心の葛藤に見えますが
ほんとうはそうではありません。
この時外側の世界に見ているものは全く問題ではありません。

有限の中の自分で生きるか。
無限の中の自分で生きるか。
この人生の基盤となる選択の瞬間です。
記憶に遮られ、真の判断からどんなに遠のいたとしても。
私たちはどんな瞬間にも、ほんとうの自分に戻るチャンスを与えられています。

選べることを踏まえた上で選ぶことが、記憶から自由になった選択です。
自分が今、何にも閉ざされていないということなのです。

選択肢という自由と共にあることを理解しているのと、していないのでは全く違います。

このことが分かったうえで、赤を選ぼうが黒を選ぼうが、
青にしてみようが、それは真の自由からの選択です。
真の自由からの選択であれば、どんな結果であろうとも
後にも最善の道だと感じられます。そこには影が残らないからです。

もしかしたら黒がとても似合って褒められるかもしれません。
もしかしたら81歳のお誕生日に息子がプレゼントしてくれるかもしれません。
もちろん買わないという選択もあります。

完全なる無の創造物である宇宙には正解となる答えはひとつもありません。
こうしなさいああしなさい。あれはだめとは伝えません。
そう囁いてくるのは自分の信じてきた記憶だけです。
行動する前に何度でもこのことを思い出すこと。
これがわたしたちにとって、無限の自分に戻る第一歩となるのです。

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本来の私たちの力を100%として、これまでに人間が見てきた可能性はわずか0.01%で、
残りの99.99%の可能性は手つかずのままでした。
このように表現すると、これまで私たちがどれだけ有限の中に生きてきたか伝わると思います。

0.01%が有限である思考、記憶の部分。
そして 99.99%はまだ見たことのない無限の世界です。

私たち人間は、無限の宇宙の→その中の小さな地球の→その中のもっと小さな建物の、
→その中のもっともっと小さな身体の中だけに存在しているのではありません。
身体としてはそのように感じても、意識を向けるところに創造有りきです。
実際は身体も地球も宇宙をもすべて内包しているのです。

周りの生き方をみて成長する生物である人間は、
多かれ少なかれ身近に関わるものの記憶を受け継ぎます。
努力することが当然。できなくて当然。それは夢だけの世界。
家族や学校で教えられるまま、試す前に答えを決めて生きてきました。
そんな空しい言葉ばかりを並べて生きれば、本来の力を発揮しようがありません。
何でもかんでも自己否定をすることで、
本当の自分の力を抑え込む言葉の束縛を自分自身が続けてきたわけです。

長いこと、閉ざされた空間に滞在しているうちそこは都となり、
いざ自由な空間を目の前にしたときに、
何をどの様に表現したいのか分からない程になりました。
ここまでくれば強制的にアラームを鳴らすほか無いわけです。

そのおかげで、目に見えない世界を知ろうとする者も増えました。
人々は、ひとつの決まった答えだけが正しいわけでないことに気づきはじめ、
あちこちと常識に合わせた理由を探すのにも疲れてきました。
地球ごと次元が上がり変化の真っ最中の今、
本当の自分を生きることが叶いやすくなっています。
正に変わりたい人こそ今なのです。

これまでは闇を色濃く観察してきましたが、それはもう終わりです。
自分の力を抑え込む束縛をもうやめる時期が来たのです。
ここから数年でもっと多くの人々が、閉ざされた空間に疑問を持つようになり、
残りの手つかずだった可能性を少しずつ思い出していくようになります。
これまでの0.01%の視界を思えば10%の視界が開けるだけでも、
生きやすさはこれまでとは比べ物になりません。
そして何よりも、自分を抑え込まなくなるので自分自身に優しく出来ます。

内側を知ることで、外側の世界への絶対性が薄れていき、
外側の世界に重きを置かなくなれば、必然と世界は軽くなります。

このことに気づいた者から実践することで、目に見える世界の変化も早くなるという事です。

有限の中の自分で生きるか。
無限の中の自分で生きるか。

どんな時も、わたしたちに選択がゆだねられています。
記憶の中に生きるのも一つ、そこから自由になって生きるのも一つ。

いつでも好きな時に、
私たちはどこへでも羽ばたけることを忘れないで下さい。

皆様はゴールデンウイークの真っ最中でしょうか。
働いている方も、お休みの方も、のんびりの方も、今日の一日を幸せに過ごせますように。
笑顔がありますように。(﹡ˆᴗˆ﹡)