真源のみたいもの

規定や制限のある世界が空想で、
自由でとらえることのできない世界が本物。

光と影、生と死の分離の世界が空想で、
分離のない永遠の世界が本物。

色形ある世界が空想で、色形ない世界が本物。
いままで絶対的に正しいと思ってきたことすべてあべこべ。

前回の“想像の世界はエンドレス ” の記事に続いて
もう少し深くお話してみたいと思いました。
私たちが今まで信じてきた世界を、あべこべと見てみる
みえてくる景色が変わってきます。
長い文章となりますが今日もすこしお付き合いください。|• ᴗ •๑)”

いま地球では各自認識の変容が起こっている真っ最中にあり、
多くの人が頭の中で理解が追い付かないと戸惑いの顔を見せながらも
本当はそれぞれが、今するべきことをちゃんと分かっています。

想像の中の世界とは言えど、
ひとつの惑星が曲がり角を曲がるのは、宇宙一大事の大仕事です。
すべてのものが、合意の上での変容なのです。

気づくもの、気づかないものそれぞれですが
一定のスピードを保ち少しずつ変化しているので
過中にある私たちが昨日と今日の違いをはっきりと区別できなくとも
確実に変化しています。

この世界は想像の世界。このことは前にも書いていますが
無色透明、無形である意識(創造主)が、
何も持ってないからこその空想であり何も持ってないからこその夢うつつであります。

もしも創造主が、形としてはっきりと見えるのであれば誰も神を探しません。
姿形がないからこそ崇め、そしてわたしたちは追い続けているのです。
ほんとうは、自分そのものが神なので内側を顧みない限り
このことに気づくことはできません。

遥か遠くへ、神を探す旅へ出て 自分が神となり戻ってきた。
これは、見事に言葉の形容で目覚めの過程を表しています。

そしてひとたび、自分そのものが神であったことが分かると
この世界全ての創造物が神であることを知ります。
同じくして何者も存在しない世界だったことが、完全に腑に落ちます。

無形無色透明の私たちの創造主は、
この壮大な『動の集合体』である宇宙を誕生させてしまうほどに強く求めました。
姿かたち無い大いなる力が、強く求め続けるからこその創造です。
その“ひとかけら”が私たちです。
“無形のひとかけら”は、その姿在る無くどこに現れようとも
分離することは決してありません。
創造を誕生させるほどの進化を求める力強いエネルギーこそ
私たちの姿そのものなのです。

先日の記事でも書きましたが
建物、企業、文明、命をみても、作られるまでには沢山の時間を費やします。
それでも自然災害、ウイルスなどがあれば
どれほど大切なものも、一瞬にして破壊されてしまいます。

もしも建物が、企業が、文明が、命が、ほんとうに実在するものであるならば。
もしも私たち一個人のがんばりでどうにかなるものであるならば。
瞬く間にして破壊するのであろうか。

もしも命が限りあるものならば、何よりも大切であるならば
今生まれたばかりのシマウマが、いとも簡単にライオンに食べられるのか。
食物連鎖といえども日常茶判事そんなことがあるだろうか。

私たちには動物も含め感情があります。
命を全うできないことの深い悲しみを生んでまで、なぜこのようなドラマを繰り広げるのか。
私が姿ある神であれば、そんな連鎖が無くて済むように。
自然災害が起ころうとも全ての命は守るように。
もっと早い進化の段階ですべての命を全うさせようと新しいプランを導入します。

では、なぜそうしないのか。
私の考えはこうです。
まず、全ての創造物がひとつの命から成るものでありこの世界は想像の世界であること。
取り返しがつくからこそ全ての可能性の広がりをゆだねているということ。
そして真源は、共に苦しみ悲しみながらも命を遥かに超えた、
動《自分の創造する全てのもの》の統合をみてみたいと願った
のです。
そのためには、無形である実在よりも尚リアリティを持った
ドラマを繰り広げる必要がありました。

月にはしごをかけてしまうような知能の高い人間たちが
戦争ほどの無益なことを繰り返す。
学習能力に優れ、こんなに高い頭脳を持つ人間たちが
少しずつこそ改善しているといえども、
なぜ苦しみを忘れてまたすぐに、同じ無益を繰り返せるのであろうか。

ここには、
ほんとうは何一つ存在してない世界だからこそ許可できる闇の介入なのだという
真理が見えてくるのです。

夢の世界、何度繰り返したところでまたすぐにやり直しがききます。
そして日常が、強制的な制限、破壊によって取り上げられるとき
私たちはどんな瞬間よりも変容します。
必要に迫られ目覚めるということです。
身体という形を去るもの、残るもの共に驚くほど高く上へと飛び上がります。

では命が大切でないか。という話ではありません。
実在よりも尚リアリティを持ったドラマを繰り広げることこそが
私たち生きる者の使命なので、この世界で命を全うすることは
何よりも大切だということに変わりありません。

あらゆる現象の中での創造と破壊、生と死を繰り返すことで
少しずつ階段をあがっていく。
何度でも闇をみて、もう本当にこれ以上の闇を観たくないと
心から祈り、自分自身から変化を求められるようになるまで
真源のひとかけらひとかけらが経験から学んできたのです。

限界と闇に映しだされるひかりの魅せる真の美しさを懇懇と魂に刻印してきました。
それが、わたしたちです。

ほんとうは生も死も存在しないからこそできる創造です。
無限であるゆえに何度でも繰り返すことができます。
永遠だからこその創造と破壊なのです。

誰もいない海で砂遊びをしている子供は、
時間をかけて作ったお城も気に入らなければ、簡単に崩して
また新しいものを作り直します。
砂は無限ではありませんが何度でも作れるからこそ崩せるのです。

何もないことが、創造主のほんとうの強みです。
何かひとつでもあれば本当の意味で強くなれません。
どこかに限界が生まれるからです。
限界がないからこその永遠の強みなのです。

地球で言えば、持つことを疑似体験することで
持ってないことの強みを理解できます。
我々が身体をもつ人間として、ほんとうの意味ですべてを楽しみ尽くした後に、
結局のところ行き着きたいと考える場所は、解脱の境地なのではないでしょうか。
全ての煩悩を捨て去ればどんなに軽くなるのか。
無の強みを、本能で分かっているのです。

地球でのこれまでの経験は私たち(ひとかけらひとかけら)の魂に刻印され、
いま更なる進化をするための曲がり角にあります。
これから先に私たちが観ていくものは、光と闇の統合であり
それぞれが笑って楽しく生きれる時代へと向かっています。

うれしいですね。( • ◡ ๑)
望む誰もが、楽に生きていくことを選べる。
地球の新しい変容を迎えてこの日を待ち望んでいた本質、真我は喜びの波で沸いています。

あなたはこの新しい時代を迎える想像の世界で、何を望みますか。

この瞬間にあたえられている人間という身なりが
後にも前にも、たった一つの命からなるひとかけらであることを心にとめて
実在よりも尚リアリティのあるこの世界を、こころからたのしんでください。

それこそが、真源の望むすべてです。

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“ I went on a journey to find a god far away, and I came back as a god. ”

“A l’horizon, j’ai entrepris un voyage pour trouver Dieu et je suis revenu en tant que dieu. ”

遥か遠くへ、神を探す旅へ出て 自分が神となり戻ってきた。